泊原発はホントに大丈夫なの?? 北海道って原発に依存しなきゃならないほどそんなに沢山製造業ってあるの??北海道から考える脱原発!チャンスじゃんか

官僚出身の高橋はるみが再選され、市長はなんの成果も見られない上田が再選された。

 恐らく二人とも、日本でもクズの中でも最低と言われる道議会、市議会とうまくやっていくんでしょうね、なんの軋轢も生まず、おざなりな議論の中でなんの希望もビジョンも示せないまま、北海道は沈んでゆくんでしょう。

 こういう二人のような平凡だけが取り柄の人間って結局、安定には向いているけれど、北海道を覆う、不景気風や停滞にはなんの役にも立たない。

なら、人災というべきフクシマの惨状を目の当たりにして、北海道こそ脱原発を目指そうなんて気概もない、全くない。
 脱原発です、嫌原発です。

意味もなく声高に脱原発を叫んだっていいじゃない・・・放射能という見えない恐怖だからこそ、人は怖がるのです。
見えないものに人は根源的な恐怖を感じるものなんです。
 制御できないと本質的に分かっているのかもしれない。
沖縄と北海道、不景気に沈んでゆく二つの土地くらい原発なくってもいいと思う。
しかし、北海道にはすでに泊がある。

 いったいそれで泊とそれに隣接する過疎地にどれだけの恩恵がある。たかが知れてる交付金のために、たかが知れてる人間たちへの恩恵のために不完全な技術の産物である原発で多くの道民を危険にさらしていいのか?

安全、安心だなどと能天気なことを言っている輩は、もしも事故が起こり取り返しのつかない事態に対してどう責任を取るのか??
次の世代に負の遺産だけを残すのか??

 

 事実として起こった奥尻に多くの被害をもたらした地震による大津波がきたら泊の原発は大丈夫なのか??
施設に被害はなくとも原発が非常停止し、燃料棒冷却用の非常電源が全て使えないような事態になったらどうするのか??

 原発のような不完全なものを造っておいて、安全です、安心ですなんて言われて騙されてた国民も国民と言われればグウの音も出ませんが。

 燃えカスを処理する技術のないものを、いいだけ使っておいて、次の世代に残し続けるのか、僕たちは見えない不安を抱えながらこれから先も死ぬまでこの不安と対峙していかなければならないのか・・・そんなものにこの国の未来を託していいのか?
 
 そして、一度事故がおきると、その処理には決死の覚悟で当たらなければならないという、死ぬかもしれないという恐怖と闘って事後の処理にあたらなければならないような技術で発電する電力を湯水のように垂れ流していた今の日本がおかしいのだ。

 どうやら拝金主義は末端にまで及んでいるようで、田舎だからという不便は許されないらしい。

誰もがコンビニエンスを求めて、過疎地の住人は、その土地ではいりもしない法外な電力を、大都市の利便性にのみ供与される電気を原発という誘致によって生み出し、その報酬として、すばらしく整った道路、地域に見合わないハコもの、都会の利便性を手に入れる。

 しかし、それは地域の振興に供与しない。原発しかない年寄りしかいない町になど若者は定住するはずもない。
数百キロ先には大都会があり、そこには幾分かの希望がある。少なくとも原発しかないよりはましだ。

 それでも原発だけを頼りにした原発城下町は各地にその爪あとを残す。
 過疎地が廃村にならなかったという事実だけが虚しく残る。

 
 大方の地域が財政再建団体あるいは夕張と言われてもおかしくない北海道の、大都市札幌のこの現状をこの二人が、どう変えてくれるのかなんて、期待は誰もしていない。
現状維持を望む勢力が多いだけのこと。
 北海道って役人天国らしいです。

 北海道って原発がいるほど電気使うの? この不況で、この今こそ北海道だけでも脱原発を掲げられないものか?

 チャンスではないのか? 追い風は不況、人口減少、製造業の本州への移転、破壊されていな自然、世界遺産知床、脱原発をここから始めるのはどうだ?

 泊などほんとに必要なのか、一度事故が起きてしまえば、不完全な救済しか手はないのだ。北電が東電より事故の処理に優れているなどと努努思ってはいないだろうね、東電であの程度なんだから、災害が起きれば間違いなく近隣の自然が汚染されるのだ。

そのリスクをいったいなにと引き換えにするのだ?

 日本で唯一の食料自給率100%を誇る北海道、それこそが売りではないのか?

次の世代にいったい何を残せるのだろう? プルトニウムまみれの放射性廃棄物の塊か、それとも大いなる自然か、

 高橋も上田も子の親なら、おのずと残せるものは考えるまでもないと思えるのだが・・・・。

泊発電所 From WIKIより

1号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:1989年6月22日
定格電気出力:57.9万キロワット

2号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:1991年4月12日
定格電気出力:57.9万キロワット

3号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:2009年12月22日
定格電気出力:91.2万キロワット
プルサーマル発電を予定[2]

位置

北海道古宇郡泊村大字堀株(ほりかっぷ)村
1969年の立地決定当初は、日本では珍しい内陸型原子力発電所として、隣接する共和町との境界付近に建設を予定しており、計画上の名称も「共和・泊発電所」であったが、1978年に現在の泊村沿岸部に計画を変更し、名称も「泊発電所」となった。


過去の主なトラブル

2003年9月 2号機の1次冷却水が漏れ、運転停止[3]。
2004年9月 蒸気発生器伝熱管56本に摩耗減肉[4]。
2004年10月 2号機で、B充填ポンプトリップの警報により、Bポンプが自動停止[5]。
2005年5月 原子力発電所のフェンスを越えて、山菜加工業者とそのアルバイトらが敷地内に不法侵入。タケノコ採りをしていたアルバイトの1名が、たまたま職員に捕まったことをきっかけに総勢24名が逮捕、後日書類送検された。テロ対策強化の必要性が改めて問われる事件となった。
2006年12月 定期点検中の2号機で火災[6]。

2007年7月3日、4日、7日、11日、24日、8月7日、9日 建設中だった3号機の原子炉建屋、原子炉補助建屋、作業員事務所の仮設トイレ等で、火災発生。他にも電源コードの切断も見つかった。何者かが放火している疑いが持たれている[6][7][8]。

2007年5月末、6月 3号機の原子炉建屋近くの屋内作業現場に、人糞[9]。

2007年9月27日 1号機の非常用ディーゼル発電機2基が故障。北海道電力は、その原因を メンテナンス会社が検査した際に、「調整装置」に異物が混入した為と発表[10]。

2010年3月2日、北海道電力は、1号機で、定期検査中に50代男性作業員の一人が微量の放射性物質を体内に取り込み被ばくしたと発表した[11]。

2011年1月9日、北海道電力は、3号機で、定期検査中に20歳代の男性作業員一人が微量の放射性物質をあびて被ばくしたと発表した。[12]。
福島第一原子力発電所事故後の対応

北海道電力の対応
2011年3月11日に起きた福島第一原子力発電所事故後、北海道電力は、安全対策をすることとし、原発に依存する現行体制の見直しは、否定[13]。具体的な安全対策については、移動発電機車を導入し高台に置いたほか、建屋内への浸水防止策を検討しているとしたが、「福島の津波が高さ14メートルなら、15メートルに対応すればいいのか、16メートルがいいのか、収まりがつかない」とも述べた[14]。

周辺地域の対応
泊発電所の所在地である泊村が会員となっている全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)は[15]、首相が表明していた原発増設見直し方針に対し、時期尚早であり、原発廃止はあり得ず、国にはぶれないエネルギー対策をやってほしいと要請した[16]。泊村は、他の周辺町村及び北海道知事と共に、津波対策などの見直しを北電に要請することを決めた[17]が、毎日新聞社が2011年4月15日に結果を公開したアンケートでは、泊発電所の運転について、現状の安全対策のまま今後も継続できると答えていた[18]。


僕たちはこいつを維持するために世界一高い電気代を払い続けるのか・・・残された選択の時間は思っている以上に少ない。そう思う。