2006
中央公論新社
レイモンド カーヴァー, Raymond Carver, 村上 春樹

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 「愛について語るときに我々の語ること」
原題はWhat We Talk About When We Talk About Love.

 日本語では絶対にこういう言い方はしないよね、言い方ってか表記ってかね、
でも、ほら語るの二重表記ってすごい印象が強いんだよね、僕はカーヴァーの詩集で「夜になると鮭は...」"At Night the Salmon Move" が、とても好きです。

 特に表題の「夜になると鮭は……」は、静寂がひっそりと息づいてるような、鮭は愛するものの分身なのか? まるで時の音が聴こえるような、そんな詩が好き。
で、「愛について語るときに我々の語ること」著者は レイモンド・カーヴァー 訳者はもちろん村上春樹です。

 村上春樹の新刊「走ることについて語るときに僕の語ること」これって、カーヴァーへのオマージュですかねえ……、村上春樹がいなければ、カーヴァーがこれほど日本でメジャーになることってなかっただろうしね。
 村上春樹の「1973年のピンボール」が大江健三郎の「万延元年のフットボール」のオマージュというのは承知の事実です。学生運動を目の当たりにしてもなお、ノンポリの姿勢を崩そうとしない、あるいは、通り過ぎていった60年代を引きずっている僕が主人公だから。

 しかし、新刊が出たとたんにこんなに書評がBlogやらHPで取り上げられるっていうのも村上春樹くらいでしょうね、書評、拾い集めていたら、もう充分お腹いっぱいだものw
 何だかそれぞれの胸の中にそれぞれの村上春樹がいるみたいな、そんな感じです。

 
 こういう言い方って反則だよね、インパクトが強いからね、で、題名だけ見ると、走ることそのものを語ってるのか、走るっていう行為を通して自分自身の事柄を語りたいのかよく分からない。
 これはH・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだ獣」』(The Beast that shouted Love at The Heart of The World)意味が分からない題名とよく似てる。
 こういう題名って日本語では絶対出てこないよね、翻訳モノでしか表現できない類のものだと思うの。
 

 村上春樹の小説の場合、主人公はほとんど何も選択していないんだね、自己をほとんど表出させないんだ、自分はただ静かに客観的に起きること、起きたことを、判断する。ただじーっと待ってると勝手に誰かが消えちゃったりするわけだ。それで、仕方なく重い腰を上げる、そこから物語が始まるんだね。
 まるで達観した木枯らし紋次郎だ、あっしには関わりない〜と言いながら、巻き込まれるんだ。
まあ、何かに巻き込まれなきゃ物語は始まらないしね。
 関わりたくない主人公が関わらざるおえない矛盾を抱えてるのが村上春樹の小説なんですね。

本人が「遠い太鼓」で書いていることに照らしあわせると「アフターダーク」以降長編出てないわけですから、短編集とエッセイと翻訳ものの後には必ず長編書きたくなるって言ってるので。要するに短距離を練習で走ったあとにマラソンに挑戦したくなるらしいから、新作は真近ってことなのかな?

で、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ感想なんかを書き留めておこうと思ったんだけれど、お腹いっぱいなのでこの辺で。

映画「バスキア」


年度: 1996
国: アメリ
公開日:
夭逝した天才画家バスキアの短い生涯を、実話に基づいて描いた感動作

天才は、早死にするのか!・・・ジャン・ミシェル・バスキアとその生涯

映画「バスキア」僕の中で最高の10本のうちの一つ

ニューヨークのアートシーンを疾風のごとく駆け抜け、ドラッグの過剰摂取によって27歳の若さで神に召された天才バスキアを、ジェフリー・ライトが成りきってます、迫真の演技、まるでバスキアそのもの!?ライト以外に出てる俳優人も凄い、これだけでも見ごたえありかな。
特に場末の喫茶店のウェートレスで、バスキアの恋人役のクレア・フォラーニ、その役とは別の気品を感じましたねー、で、後にB・ピットと共演した「ジョー・ブラック」悪魔に恋する富豪の娘役でその気品を、まるでヘップバーンのような気高さを見せてくれました。その他ウォホール役にデヴィッド・ボウイ、アートシーンを牛耳る美術評論家にD・ホッパー、G・オールドマンに M・ウィンコット 、バスキアバスキアらしく描かれているのは、生前、彼の友人であったジュリアン・シュナーベル監督の手腕によるところが大きい。
しかし、よく集めたもんだね、その道のカリスマばかりだよ、
とにかく、ウォホール以後のポップ・アートシーンの裏側を垣間見せてくれる貴重な一本だと思います。ウォホールのカリスマとは別の顔も見られるしね。

映画版 東京タワー


年度: 2004
国: 日本
公開日: 2005/1/15
冷静と情熱のあいだ」の作家・江國香織の原作を映画化した純愛ドラマ。主演は黒木瞳岡田准一

 江國香織ってほんとにうまいと思う、ストーリーが明快で・・・先が読めるんだね、なんか安心して読める・・・女性の読者ばっかなんだろうな、男には書けないね、きっと。
 これはあくまで本当に僕の個人的な意見ですが、うまいんだけれど、「きらきらひかる」もつまんなかった。辻仁成の小説くらいつまんなかった。
 仁成ってほんと若い時は、独りよがりのナルがかっこ良くて憧れたんだけれど、いい年してそれじゃダメでしょう、木村拓也くらい独りよがり突っ走れば、コスプレドラマの主役(外見は変わっても演じる役はどれもステロ・タイプ)だなんだかんだと言われながらも、TVで生き残っていられるんです。
 仁成はもうその生き方がかっこ良すぎてかなり嫉妬入ってるかな、
なんせ、ECHOESってけっこう売れたバンドでミュージシャンやって、小説家に転身したと思ったらデビュー作「ピアニッシモ」ですばる文学賞、「海峡の光」で直木賞、「ZOO〜愛をください」「冷静と情熱のあいだ」で映画、TVの脚本書いたと思ったら果歩と離婚してミポリンと結婚、今はパリ暮らし・・・。男冥利に尽きます、こんな人生w。
話がまたまた逸れてしまいましたが、「冷静と情熱のあいだ」は江國と共著なので。

 ただ、映画を見終わって確かに面白いんです。でもねー、男の僕としてはですね、こんな日本全国大半の平凡な主婦の願望を綺麗な影像(イケメンの男と美しい女)で表現してみました、なんて恥ずかしげもなく見せられてもですね、
 ラストで山下達郎の歌流れてきてちよっと失笑してしまったのも無理ないと思うわけです。
最初はノラ・ジョーンズで始まってホホーなんて思わせておいて・・・途中はマーラーで、最後が
達郎って、達郎の大フアンの僕でもなんか納得いかないなあ。これってタイアップ見え見えでしょう。

 昨今のハリウッド超大作の馬鹿馬鹿しさ・・・とうとうウエルズの古典的SF「宇宙戦争」まで引っ張り出してきて・・・リメイクや続編に飽きたって言ってるのにスピルバーグ今度は「レイダーズ4」だって・・・もう完全にネタ切れですね、ほんと・・・観客数激減ってYAHOOのトピックスの記事読みましたか・・・に比べたら、良くできた映画だとは思うんですが・・・。
 これって、どっちの視点が主役なんだろ、男の子二人の回想なんだろうか、それとも熟年二人の思い入れなんだろうか、なんだか両方とも中途半端な感じがして、セレブな熟女と金持ちのバカ息子二人の幼稚な恋ってところですか・・・にしても、岡田も松潤も黒木も寺島も上手いなあ、感情移入しちゃうんだろうなあ、女の人ってこういう映画に・・・。

 いや、大衆娯楽小説としてはもう最高に面白いとは思います、映画もね。

映画版「ノルウェイの森」


映画観てからもうどのくらい立つのかな・・・トラン・アン・ユンてやっぱ日本人とは違う感性なんだなと感じたんですね、最初から・・・でも世界的な名作だからねこれ、がっちりできあがってるデッサンを、大胆に変えて構築するなんてのは、天才ピカソくらいしかできない大技ですからね、

 さすがにストーリーは、はしょってはいるけれど、映画化にノーといい続けた村上春樹さんの温情をかんがみわりと忠実に、まるでよくできたフランス映画の香りがそこはかとなくしますみたいな、可もなく不可もなく、まあ誰もが思い描くような「ノルウェイの森」の実写化ってのは無理なんですけどね、僕みたいにハルキストでこれが出た時系列で読んでたノル森ファンにもそれなりの感慨ってものがあったりして、けっこうややこしいわけです。・・・けっこうこのそこはかとなくが好きな言葉だったりしてね。

 だから、冷静にこの映画を語れなかった・・・ってのもあってこんなに時間が空いちゃったんですね。

 でもやっぱり僕もこの「ノルウェイの森」だけは、思い入れがはんぱないんで実写化して欲しくなかった一人です。

 「風の歌を聴け」が81年大森一樹 監督、小林薫 主演で映画化された時、そのひどさにがっかりしたのを憶えてるからね・・・関係ないけど小林薫ってその風貌で主演に選ばれたんじゃないかな、なんだかいつも村上春樹さんを思い出すんだよね、彼がTVに出たりするのを観てるとね、

 まあ現時点ではかなりいいんじゃないんでしょうかこの映画化、

ワタナベかっこよすぎなんじゃないとか、直子はなんか違うなとかレイ子さんも美しすぎるとか、キズキってあんな感じなのかなとかね・・・色々めんどうなんですけどね、

 ただひとつ、ミドリの水原希子だけは納得、あの瑞々しさは春樹さんが創造したミドリ以上なんじゃないかって思うくらいミドリっぽかったような気がします。

トラン・アン・ユンも多分恐らく一番思い入れがあったんじゃないのかなミドリに、

 今回映画を観てつくづく思ったのはやっぱり直子はワタナベがいたからこそこの世界に留まっていられたんだと言うこと。


 本当はキズキの死とともにすでに現実とはちぎれてたんですね、

セックスしまくるワタナベだけれど、うらやましいヤツだけれど、これはやっぱり純愛を描いた作品なんだと思い知らされました。

 死は生の対極なんかじゃなく、常に生の隣で、密かに息づき、その出番を待っているのが死なのだ、というワタナベの独白も、これだけ死を描いているのに、みどりという生の象徴がいることで直子という死の影を払拭できる・・・そう信じたい、そういう物語なんだと思う。

菅が動いた! 浜岡原発4、5号機停止要請、3号機も運転させず・・・。

この国の権力とはなんぞや??

あの国家のエネルギー政策に乗っかった原子力を核にした産、学、政財界が強固に連動した原子力村という閉鎖組織、そして過疎地を中心に各地に拡がる原発城下街。

 統括する首長でさえ手出しができないというその権力はいったいナニを根拠に蠢いているのだ。

菅も枝野も国家の中枢にいながら「権力」を握っている、あるいは、権力中枢にいて権力を行使しているとは到底思えない。

 いみじくも「梶川ゆきこ」なるとんでもな民主党の一議員が指摘している「2ちゃんねる、カキコ職人」なるものが時給で雇われていて、世論の動向を左右するカキコを意図的に行っていると指摘したのだけれど、 間違いなくそういう種類のカキコ職人はいるといえる。

まあ、2ちゃんねるには暇をもてあます自己中のカキコしかないのだけれど、カキコ職人なんかいなくても2ちゃんねるはかなり左側であって、それなりに過激で特殊なんで一般人はほとんど触れないでしょうwwでこの梶川なる人物、コメントにもwwとけっこう藁を生やすので暇人なんですねきっとwww

 こういう人をそもそも選出する広島ってとこもけっこうDQNが多かったりするかもですねw

で、そのカキコ職人なんですが、YAHOOの掲示板や某有名どころの一般人が利用する掲示板には確かにある意図を持ってコメントを流したり、意図的に(意に反するコメントを)削除要請してその掲示板をある種の世論に持っていこうとする人間が多数存在することは間違いないのではないかと思う。

 いわゆる原発への警鐘、東電への非難、公務員の給与の削減、増税論への反対コメント、民主政府の擁護、これらは権力にとって都合が悪い。過激なコメントは印象深く、受け入れられる。で、反対するコメントを書き連ねる。

 これらの掲示板、あるいは問題に対して職人は暗躍する、間違いなく・・・。


 世論を先導する役目を担って、ある種、大多数の組織が絡んでいるのではないか、それは、官僚、公務員を基本とする、今となっては日本で最も数では圧倒的なロビイスト集団なのかもです。

なんにもしてないんだよね菅って、なんにもしてないってか、ブレーンがダサすぎてなんにもできないってのが正直なところ、未熟なうえにこの未曾有の災害、

で、なんいもしてないのにこの叩かれようw なんにもしてないって叩かれるなら本筋なんだけれど、なんにもしてないのに、何かをしたように叩かれる、その叩かれ方が尋常じゃない、きっと権力にとって都合の悪い人物なんでしょうねw

 なにしていいかわかんないってのが正直なところなんじゃないかな、
もちろん30年前までは優秀だったかもしれない、今となっては日本の恥部、あるいは無能の集まりである官僚たちも今そこにある危機に対処なんかできる術をもたない。

 戦争もテロもなんにもない平和な国、一億総中流意識だった、対岸の火事的平和ボケの自民政権50年のツケ、自分たちで自分たちの国を守ることを放棄した国の官僚なんてバカしかいません。

 自民党の政権下だったとしても、菅が首相じゃなくて自民党の誰かだったとしても恐らく、なにも変わらなかったでしょう。

 まあ鳩山や麻生じゃなくてよかったと思うべきですねw

で、権力です。目には見えません。
少なくとも菅や枝野が握っているとも思えません。
しかし、これだけの人災をもたらしても各地にある原発は稼動しているし、一向にそのエネルギー政策を原発依存の体質から脱却する気はないみたいです。


 いわく、電力の不足によって産業が立ち行かなくなったらどうするの??
日本経済がダメになったら東北の復興もできないんだぞとか、原発反対なら電気使うなwwとか、
原発止めるのはいいが、反対派はその代替エネルギーをどうすんだ!!とかとか、

 でもねえ、この国は充分にムダをしてるわけで、作りすぎた原発の余剰電力を使わせるために、
原発タレントがオール電化の宣伝に使われたり、無駄に公務員多すぎるし、無駄に議員多すぎるし、無駄な利権、無駄なハコモノ、無駄な道路、無駄な橋、この国は無駄でできてるみたい。
官僚は相変わらずムダな天下りばっかしてるしねえ、

(地方公務員の給与を下げると地域経済が破綻するなんて戯言がどうもうさんくさいですね、給与半分にして、その分で地方の若者の雇用や最低賃金を上乗せすればそれこそ原発なんか作るより地域の活性化になるんじゃないかな。

 土建屋や一部の人間だけしか恩恵を受けないような原発作ったって過疎への対策になんかなるはずないですね。

 一度事故を起こしたら、命を犠牲にしなければ収束できないような不完全で不安定で不安なものを日本中のいたるところに作るなんてぐう行もうやめましょうよ、

 日本はムダ天国なんだからムダをそぎ落とせば原発なんかいらなくなるんじゃないかな、
とりあえず、原発事故の風評あるいは直接的被害で、オーストラリア人からも見放されたニセコを抱える北海道から脱原発を・・・世界遺産のある島に原発はいらないし、汚れのない自然を残して次の世代の子供たちに委ねる、それこそがいい歳重ねた大人ってもんでしょう・・・。


泊原発はホントに大丈夫なの?? 北海道って原発に依存しなきゃならないほどそんなに沢山製造業ってあるの??北海道から考える脱原発!チャンスじゃんか

官僚出身の高橋はるみが再選され、市長はなんの成果も見られない上田が再選された。

 恐らく二人とも、日本でもクズの中でも最低と言われる道議会、市議会とうまくやっていくんでしょうね、なんの軋轢も生まず、おざなりな議論の中でなんの希望もビジョンも示せないまま、北海道は沈んでゆくんでしょう。

 こういう二人のような平凡だけが取り柄の人間って結局、安定には向いているけれど、北海道を覆う、不景気風や停滞にはなんの役にも立たない。

なら、人災というべきフクシマの惨状を目の当たりにして、北海道こそ脱原発を目指そうなんて気概もない、全くない。
 脱原発です、嫌原発です。

意味もなく声高に脱原発を叫んだっていいじゃない・・・放射能という見えない恐怖だからこそ、人は怖がるのです。
見えないものに人は根源的な恐怖を感じるものなんです。
 制御できないと本質的に分かっているのかもしれない。
沖縄と北海道、不景気に沈んでゆく二つの土地くらい原発なくってもいいと思う。
しかし、北海道にはすでに泊がある。

 いったいそれで泊とそれに隣接する過疎地にどれだけの恩恵がある。たかが知れてる交付金のために、たかが知れてる人間たちへの恩恵のために不完全な技術の産物である原発で多くの道民を危険にさらしていいのか?

安全、安心だなどと能天気なことを言っている輩は、もしも事故が起こり取り返しのつかない事態に対してどう責任を取るのか??
次の世代に負の遺産だけを残すのか??

 

 事実として起こった奥尻に多くの被害をもたらした地震による大津波がきたら泊の原発は大丈夫なのか??
施設に被害はなくとも原発が非常停止し、燃料棒冷却用の非常電源が全て使えないような事態になったらどうするのか??

 原発のような不完全なものを造っておいて、安全です、安心ですなんて言われて騙されてた国民も国民と言われればグウの音も出ませんが。

 燃えカスを処理する技術のないものを、いいだけ使っておいて、次の世代に残し続けるのか、僕たちは見えない不安を抱えながらこれから先も死ぬまでこの不安と対峙していかなければならないのか・・・そんなものにこの国の未来を託していいのか?
 
 そして、一度事故がおきると、その処理には決死の覚悟で当たらなければならないという、死ぬかもしれないという恐怖と闘って事後の処理にあたらなければならないような技術で発電する電力を湯水のように垂れ流していた今の日本がおかしいのだ。

 どうやら拝金主義は末端にまで及んでいるようで、田舎だからという不便は許されないらしい。

誰もがコンビニエンスを求めて、過疎地の住人は、その土地ではいりもしない法外な電力を、大都市の利便性にのみ供与される電気を原発という誘致によって生み出し、その報酬として、すばらしく整った道路、地域に見合わないハコもの、都会の利便性を手に入れる。

 しかし、それは地域の振興に供与しない。原発しかない年寄りしかいない町になど若者は定住するはずもない。
数百キロ先には大都会があり、そこには幾分かの希望がある。少なくとも原発しかないよりはましだ。

 それでも原発だけを頼りにした原発城下町は各地にその爪あとを残す。
 過疎地が廃村にならなかったという事実だけが虚しく残る。

 
 大方の地域が財政再建団体あるいは夕張と言われてもおかしくない北海道の、大都市札幌のこの現状をこの二人が、どう変えてくれるのかなんて、期待は誰もしていない。
現状維持を望む勢力が多いだけのこと。
 北海道って役人天国らしいです。

 北海道って原発がいるほど電気使うの? この不況で、この今こそ北海道だけでも脱原発を掲げられないものか?

 チャンスではないのか? 追い風は不況、人口減少、製造業の本州への移転、破壊されていな自然、世界遺産知床、脱原発をここから始めるのはどうだ?

 泊などほんとに必要なのか、一度事故が起きてしまえば、不完全な救済しか手はないのだ。北電が東電より事故の処理に優れているなどと努努思ってはいないだろうね、東電であの程度なんだから、災害が起きれば間違いなく近隣の自然が汚染されるのだ。

そのリスクをいったいなにと引き換えにするのだ?

 日本で唯一の食料自給率100%を誇る北海道、それこそが売りではないのか?

次の世代にいったい何を残せるのだろう? プルトニウムまみれの放射性廃棄物の塊か、それとも大いなる自然か、

 高橋も上田も子の親なら、おのずと残せるものは考えるまでもないと思えるのだが・・・・。

泊発電所 From WIKIより

1号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:1989年6月22日
定格電気出力:57.9万キロワット

2号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:1991年4月12日
定格電気出力:57.9万キロワット

3号機
原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:2009年12月22日
定格電気出力:91.2万キロワット
プルサーマル発電を予定[2]

位置

北海道古宇郡泊村大字堀株(ほりかっぷ)村
1969年の立地決定当初は、日本では珍しい内陸型原子力発電所として、隣接する共和町との境界付近に建設を予定しており、計画上の名称も「共和・泊発電所」であったが、1978年に現在の泊村沿岸部に計画を変更し、名称も「泊発電所」となった。


過去の主なトラブル

2003年9月 2号機の1次冷却水が漏れ、運転停止[3]。
2004年9月 蒸気発生器伝熱管56本に摩耗減肉[4]。
2004年10月 2号機で、B充填ポンプトリップの警報により、Bポンプが自動停止[5]。
2005年5月 原子力発電所のフェンスを越えて、山菜加工業者とそのアルバイトらが敷地内に不法侵入。タケノコ採りをしていたアルバイトの1名が、たまたま職員に捕まったことをきっかけに総勢24名が逮捕、後日書類送検された。テロ対策強化の必要性が改めて問われる事件となった。
2006年12月 定期点検中の2号機で火災[6]。

2007年7月3日、4日、7日、11日、24日、8月7日、9日 建設中だった3号機の原子炉建屋、原子炉補助建屋、作業員事務所の仮設トイレ等で、火災発生。他にも電源コードの切断も見つかった。何者かが放火している疑いが持たれている[6][7][8]。

2007年5月末、6月 3号機の原子炉建屋近くの屋内作業現場に、人糞[9]。

2007年9月27日 1号機の非常用ディーゼル発電機2基が故障。北海道電力は、その原因を メンテナンス会社が検査した際に、「調整装置」に異物が混入した為と発表[10]。

2010年3月2日、北海道電力は、1号機で、定期検査中に50代男性作業員の一人が微量の放射性物質を体内に取り込み被ばくしたと発表した[11]。

2011年1月9日、北海道電力は、3号機で、定期検査中に20歳代の男性作業員一人が微量の放射性物質をあびて被ばくしたと発表した。[12]。
福島第一原子力発電所事故後の対応

北海道電力の対応
2011年3月11日に起きた福島第一原子力発電所事故後、北海道電力は、安全対策をすることとし、原発に依存する現行体制の見直しは、否定[13]。具体的な安全対策については、移動発電機車を導入し高台に置いたほか、建屋内への浸水防止策を検討しているとしたが、「福島の津波が高さ14メートルなら、15メートルに対応すればいいのか、16メートルがいいのか、収まりがつかない」とも述べた[14]。

周辺地域の対応
泊発電所の所在地である泊村が会員となっている全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)は[15]、首相が表明していた原発増設見直し方針に対し、時期尚早であり、原発廃止はあり得ず、国にはぶれないエネルギー対策をやってほしいと要請した[16]。泊村は、他の周辺町村及び北海道知事と共に、津波対策などの見直しを北電に要請することを決めた[17]が、毎日新聞社が2011年4月15日に結果を公開したアンケートでは、泊発電所の運転について、現状の安全対策のまま今後も継続できると答えていた[18]。


僕たちはこいつを維持するために世界一高い電気代を払い続けるのか・・・残された選択の時間は思っている以上に少ない。そう思う。




 

この国の無駄はとどまることを知らない・・・

この国は無駄と無駄にぶら下がる人間たちの食い扶持をまじめで謙虚で、飼い犬のように従順な1億総タカリ主義に汚染された国民が支えているというまことに不思議な体制でここまでどうにかやってきた。ちきりんの日記でも指摘されていたように今となっては民主党のただのパフォーマンスといわれても仕方がないような仕分けで表面に出てきたのは、無駄のオンパレード、その仕分けでさえなんの成果もあげていないのであればこれも無駄。

 国会の質疑を見ても、こいつらほんとに今、未曾有の危機に瀕してる国の議員かってほど緊張感がまるでない。


 老害ここにきわまれり、これだけ、クズが集まれば、そりゃ官僚の思う壺だよね、なんたって復興のアウトラインも決まらないうちにすでに増税は決定事項のようなもので、先走り得意な仙谷ジジイの所得税増税論まで出ちゃうしねえ、この国の国民、農家や漁業で生計立ててるやつばっかじゃなくて、一応大卒がうじゃうじゃいるれっきとした偏差値わりと高い国のはず、それが結局一握りの官僚や公務員にこの国の命運を握られてる現状。

農家も漁業も官僚や公務員とおんなじ、既得権者がうじゃうじゃ徘徊してるのがこの国の現状。
サラリーマンが、あるいは他業種からここに参入するなんて大変なんですね、かれらは地域独占企業みたいな、いわば東電みたいなもの、水利権だの漁業権だので二重、三重に守られてます。

 実は、国内で米を作らないほうが、すべて輸入のほうが米の売価は半分以下になるっていう事実もあります。もちろん、食料自給率という問題を抜きにすればの話ですが・・・。

大学を卒業すれば、ほとんど100%職に就き、サラリーマンになって結婚して子供二人、そしてマイホームをなんてのはもう遠い話のよう。
公務員がこの国の成りたい職業トップなんて信じられない話も現実味を帯びます。

 なにしろ、よっぽどのことしない限りクビにならないし、成果も期待されない。給料は人事院勧告で大企業なみ(なんでたかが公務員が大企業なみの報酬なのかさっぱりわかりません、僕には、一番不思議なのはある成果に対して払われるべき対価であるはずのボーナスがなんの成果も期待されていない公務員にあることなんだけど・・・)

 希望を見出せないあるいは希望を語れないリーダー不在の中、若者は、国政に選挙に全く興味がなく、2次元に入り浸りで、眼前の危機に目を向けようとしない。

じゃあ誰がいったいこの国を、この国の行く末を考えているのかっていうと・・・実は、誰も考えてなくて、興味もないみたいな風潮。
原発信仰の学者、省庁、それにあまねく東芝や日立や三菱重工なんかの大企業郡も、全く原発の安全なんか二の次で、とにかく造りたいんだよって、一点張り。

 フタを開ければこんなに危ない原発を抱えていたにもかかわらず誰も安全を担保もぜず看破もしていなかったというおそまつ。

 この国って今までどんなに幸運に恵まれてたかって話しになっちゃうよねこれじゃあ、よく米国についでGNP世界第二位なんて呼べたもんだとも思う。

 しかし、「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」 予言されていた“原発震災”/広瀬隆氏インタビュー

 以上の指摘もあるように今後30年間は地震活動が活発になる時期に突入する。

いくら能天気でもこの国に以前の地震停滞期30年のような無駄を容認する余裕などあるはずもない。
40兆の収入しかないのに90兆使っていれば900兆の借金ができるのは当たり前。それでも1億総中流社会を築き上げたこの国は、見てみないふりを続けてきた。

 国民もバカだけれど、このまま無駄を貪っている輩を(官僚、公務員、国会議員、地方の市、町、村議会議員、省庁の無数にある法人にぶらさがる星の数ほどもいる全く無駄な準公務員)とりあえず半分に減らすか、報酬を50%カットする以外にこの国が生き残るすべはないと思う。

 日本ってなんで電力会社が9(J-POWERと沖縄入れると11)つもあるのかっていうとどうやら官僚の天下り先、ひとつじゃまずいだろってことらしいです、ほんと・・・。

 しかし、それをやれるのはいったい誰なんだと問われれば・・・多分この国のことだからギリシャのように国の財政が破綻して三流国に成り下がるまで気づかないんだろうなとも思うんだ。